聖ガ・マン高等女子学院の修学旅行の5台のバスは
トンネル落盤で閉じ込められた。
初日の、長距離移動の途中であった。

昼には生徒たちは、丁度道程の途中の、知るぞ知る名物料理を持つ都市に停まり
昼食をとっていたのだが、そのダイエット効果抜群という振れ込みのスープを
年頃の乙女たちは争って何杯も飲んでいた。

その都市を出て二時間あまり。バス旅行だというのに水気をとりすぎた効果はてきめんで、
誰もが一刻も早くサービスエリアに着くことだけを願い、
そしてあともう少しでその願いが叶う矢先のことだった。 

「チョートイレいきてー」
などとは誰も言わない。
女子校などというものは、異性の目がないだけに
内部では夢見がちな青少年を幻滅させるような実態があふれているものだが
聖ガ・マンの生徒は厳しい選考のおかげか、教育のたまものなのか
きわめて躾が行き届いている。

落盤事故から1時間。乙女たちの生理的欲求はあれからさらに募っているはずなのだが、
驚いたことに、前を押さえている生徒は一人もいない。
かといって、トンネルに閉じ込められたのをいいことに、バスの外で済ませてしまったわけではない。
乙女たちのオシッコは、彼女たちの可憐な膀胱に閉じ込められたきりである。
彼女たちの厳しく躾られたたしなみからすれば
同性の、それも良く知った友達の前でさえも、
オシッコをしたい仕草を見られるのはとても恥かしいことなのだ。
いや、むしろ、同じ躾を受けた同士だからこそ、一層恥かしいのかもしれない。

みんなあんなにスープをおかわりしている。
オシッコしたくならないはずがない。
動きのこわばった様子を見るまでもなく、誰だってオシッコはしたくてたまらないのだ。
どんなにうわべを飾っても、お互いがオシッコしたいことはバレバレなのである。
それでも、前を押さえるというような恥かしい行為は、してはいけないと理性が禁じる。
行儀良くとシートに座ったまま、さりげなく腰をくねらせ脚をゆらして我慢する乙女達。 

さらに30分経った。
『わあ、オシッコこんなにたまって大丈夫かな』
シノブはずっしりと重い膀胱が、手でさわらなくても実感できた。
そこから全身に広がる、じっとしていられない感覚に耐えるのはまだ平気だったが、
内側からこじあけようとする圧力に負けて、ちびってしまうのは時間の問題だと思った。
オシッコの出口はいつでも全力を発揮できるわけではない。
圧力が高まるタイミングに合わせて全力を出せれないいが、
全力を出した後の力が出ないときに圧力が高まったらアウトだ。
手の助けを借りることができれば、タイミングがずれてもなんとかなる。
でも、人前で前を押さえるわけにいかない以上、オシッコの出口だけの力で
頑張るしかないのだ。

『いつトイレに行けるんだろう』
聖ガ・マンの生徒として、トイレ以外でのオシッコは論外であり、
まず考えることは救出されたあとのことだ。
『助け出されても、真っ先にトイレに行けるわけないし、近くにトイレがあるか分からないし』
そもそも救出がどれくらい先になるかわからない。半日先だとすると、それまでは
絶対に我慢できないだろう。
半日後には今のオシッコを、自分の膀胱の中に全部とどめたままでいられはしない。
では、出てしまったオシッコはどうなる?
☆白い便器の中に?―そうあってほしい。でも救出されない限り、これはありえない
☆この、パンティの中に?―17歳にもなって、おもらし?
薄皮1枚を隔てて、大量のオシッコとパンティはほんの間近にある。
今はまだパンティを乾いたままにしていられるけれど、
おもらしとはいかないまでも、ちびって湿らせてしまうのは、もう今にでも起こっておかしくない。
ちびるのも、おもらしも、パンティをオシッコで汚してしまうことには変わりない。
シノブには、17歳の乙女にはあってはならないはずのおもらしが、意外に身近なものに思えた。
☆それとも…トンネルの脇の地面に?―トイレでもないところに、オシッコ!?
シノブはここまで考えて急に赤面した。
渋滞時にはやむをえずこの行動を取る女性がいないわけではない。
しかし彼女たちの躾からすれば、これはおもらしよりも恥かしい、ありえないことだった。
トイレでないと分かっているのに、オシッコをする目的でパンティを下ろす。
友人の前で前を押さえることさえ自分に禁じる乙女たちにとって
そんな行動をとる自分の姿を思い浮かべるだけでも恥かしくて死にたくなるような、
強いタブー意識を感じさせることだった。 

さらに30分が経った。昼食からは4時間以上が経過する。
さいわいなことに、乙女達は、外出先のトイレを使うことさえもはしたないと感じるようには
躾られていなかった。むしろ、トイレに行きたくて困ることがないように、機会があれば
トイレを済ませておくことは乙女のたしなみだと躾られていた。
もっとも、無理に頼んだり、人を待たせたりしてまでトイレを要求するのは恥かしいことと
されてはいたが。
というわけで、生徒の大半は、昼食がすんで出発する前に、きっちりトイレを済ませていた。
中にはトイレに行っておかなかった生徒も数名いた。
その前のトイレ休憩は午前10時すぎだったから、彼女たちは3時間ほど余計に我慢していることになる。
とはいえ、乙女たちがオシッコ我慢に苦しめられているのは昼食のスープの飲みすぎが原因で、
午前中はそれほど関係ないかも知れない。

学院では、トイレに行きたくて、行けるときにはなるべく行っておくべきだという躾はあるが、
それでもトイレに立つこと自体が恥かしいことという感覚もまた躾られている。
普通の生徒は、恥かしいとは言っても、それでトイレに行かずにピンチに陥る無計画性の方が
はるかに恥かしいと感じて、素直にトイレに行く。
行くべきときに行っておくという常識の中では、変なこだわりを持ってトイレにいかなかった結果
モジモジする破目になるような生徒は、非常に幼い恥かしい子だと周囲に認識されてしまう。
優先順位としては、トイレをあえて我慢することより、ピンチにならないことの方が絶対的に上だ。
しかし、生徒の中には、トイレに立つという恥かしさも、ピンチであわてた醜態をさらす恥かしさも
両方を避けることに成功した子もいる。
要するに、トイレに行かなくても、ピンチにならない資質があればいい。
つまり、焦った様子を見せずにすむくらいオシッコを我慢できる能力があればいいのだ。
この力さえあれば、両立がむずかしい二つのことをこなせる、より上品な乙女でいられる。
したがって、聖ガ・マンの生徒の中では、オシッコを我慢できることは高いステータスだった。
学院の正課の時間、一度もトイレに行かなくても平気な数名の生徒は尊敬と羨望の的だったし、
両立をめざして努力する生徒も全体の3割ほどはいた。 

さて、オシッコは永久に我慢し続けられるものではない。
我慢する乙女たちにしてみれば永久に思える時間でも、
実際は数時間でしかないのだ。
シホはオシッコ我慢の能力に恵まれていない生徒だった。
だからいつも躾られたとおり、トイレに行けるときにはできるだけ行くようにしていた。
今日もお昼には、食事前に一度オシッコをしていたけれど、出発前にもう一度
しっかりオシッコをすませてバスに乗った。

それから何時間経っただろう。
トンネルを抜けてちょっとで、サービスエリアでトイレ休憩が待っていた。
シホはそれまでもつかどうかすらあやうい状態だったのだが、
そこから今まで2時間以上も耐えている。
間違いなく、ダントツで彼女の人生最大の我慢だ。
さすがにお行儀良く座っていることはできかねた。
太ももを交差させてオシッコの出口をしぼりあげ、股間にさし込むわけにいかない両手は
太ももの外側を握り、上半身を数秒おきに、左に、右に、前に、後ろにゆっくり動かして
たまりにたまったオシッコを膀胱にとどめる努力を続けていた。 

『ああ…っ、また濡らしちゃう…』
必死の努力にもかかわらず、ヒクヒク痙攣するオシッコの出口から
勢い良く熱湯が飛び出した。ビュッ、ビュッと二度までで留まったが
シホのパンティは熱をもった湿りを、シホ自身に感じさせた。

ちぴったのはもう3度目になる。熱湯にこじ開けられた出口を閉ざすだけでも
ただごとではない奮闘を要する。いったんオシッコで濡らしてしまったパンティが
まだおもらししていない自分、という心のよりどころをじわじわと侵食し
オシッコの誘惑に負けそうになる。さらに、濡れたパンティはやがて冷えて
尿意をいっそうかき立てるのだ。
弱り目にたたり目とはまさにこういうことを言うのだろう。
こんな勝ち目のない戦いを、手の助けも借りることができないまま
いつ終わるとも知れずに戦いつづけなければならない。
『どうせ漏れちゃうんだもん…』
いっそ投げ出してしまえたらどんなに楽だろう。
オシッコでこんなに重い膀胱なんて。
お尻の奥の方からおへその下のへんまでズキンズキンうずく
服を脱いだら妊婦みたいに膨らんでいそうだ。
『こんなに我慢してるんだもん、我慢できなくても…』
我慢できなくて当たり前。むしろこんなになるまで我慢した自分を
ほめてくれてもいいんじゃないか。
こんなに我慢してる子が、他にどこにいるだろう。
…まわりにたくさんいる。みんなオシッコしたいのに我慢している。
誰一人弱音を吐いていない。
今弱音を吐いたら、まして我慢しきれなかったら、
自分一人だけがとんでもない大恥さらしになってしまう。
いや、もうパンティはオシッコでじっとり濡れている。
気付かれてないだけで、実質はもうおもらしと一緒なのだ。
学年にたった一人、おもらしっ子。
そんな思いにおかまいなく、オシッコはくたびれはてた膀胱で暴れまわる。
シホは泣きそうなほど惨めだった。 

「それでは武家と公家では、武家の方が誇り高いということでよろしくて?」
トンネル内で、終わりの見えないオシッコ我慢の苦行が始まって二時間半。
はじめのうちは事故の興奮でおしゃべりの声もあったが
今ではオシッコ我慢に一生懸命で、時々弱音めいた時間の話題がささやかれる他は
みんな押し黙ってしまっている。
その中で例外的に、澱みのない快活な声で会話が続いている。
「え…ええ。だって、恥を知る気持ち…、」
会話の相手はそうでもないようだ。ややうわずった声で、それも途中の単語で
とだえてしまった。語尾はあえぎ声のような、あん、という音になったところをみると
この子もまたオシッコ我慢で会話どころではないのだろう。
「けれどハツネさん、それは公家にとっての恥の意識を理解していないといえるのではないかしら。」
声の主は、オシッコ我慢に苦しんでいる様子などまったくないようである。
言葉遣いに育ちの良さが表れている。名門聖ガ・マンの生徒だとはいえ、
普通の生徒は普段こんなお行儀のいい口のききかたをしているわけではない。
彼女が特別なのだ。

この生徒の名はハルナ。
正課の時間中、一度もトイレに行かなくても平気な生徒が数名いることにふれたが、
その一人である。彼女のような、オシッコを我慢できる子は、尊敬され特権的な扱いを受けているが、
中でもこのハルナは別格と見られていた。普段の品のよさももちろんだが、
オシッコ我慢に関しても他の子とは違う。正課の時間だけでなく、放課後もトイレに行かないらしい。
一日に一回しかオシッコをしていないのでは、とさえ噂されており、彼女がトイレに行くところを
見た者は少ない。学院は全寮制なのだが、寮の風呂上がりにハルナのせり出した下腹部を目撃した友人もいる。 

さて、ハルナは当然というべきか、修学旅行に出発してから一度もオシッコをしていない。
いつも通り起床時間の少し前、混み合う前のトイレでオシッコをすませたきりである。
時間にすれば半日近く、昼食後にトイレに行った生徒と比べれば8時間以上も長く
オシッコを我慢していることになる。
ハツネも同じように我慢していた。彼女もまた正課の時間トイレに行かずにいられる特権的な生徒だったが、
ハルナほどとんでもなく我慢できるわけではない。
だが、同じクラスで、特権的な存在としてハルナとの付き合いが親密なため、
外のトイレをつかうべきではない、恥かしいことだ、というハルナの主張に付き合わされてしまった。
尊敬の的である乙女たちの中でも別格なハルナの親友の座にいられることは
ハツネにとって最高に光栄なことではあったが、その分ハルナの理想に近づく努力をしなければならない。
その努力は決して苦ではないのだが、昼食のスープがもたらしたとんでもないオシッコ我慢地獄の真っ只中の今、
ハツネはハルナ同様午前中オシッコをしなかった不利をうらめしく思っていた。

午前中たまった分の不利といっても、昼食分のオシッコの量からすればたいしたことは
ないかもしれないが、膀胱の限界寸前の状況では、わずかな量の差も重大だ。
少なくとも、ハツネは、昼にオシッコできなかったことは最大の後悔だった。
ハルナとすごす以上、外のトイレに行けるはずはなかったのだが、
そして、ハルナの親友である以上、ハルナの目を盗んでトイレに行くことは、してはならない裏切りになるし、
かといってハルナの親友の座を失うのもいやなので、結局選択肢として
昼のトイレはありえなかったのだが、それでも、あのときオシッコしていればという思いばかりつのるのだった。 

ハルナはどうだったかというと、彼女は彼女で、一般生徒には及びもつかない
桁外れのオシッコ我慢記録のベストを更新するほど、オシッコがしたかった。
彼女のすごいところは、オシッコを我慢できないことはいけないことだ、というような
うしろめたさによる我慢ではないことだ。
彼女にとっては呼吸をするのと同じくらい自然な乙女のたしなみに従って、
『私は今はオシッコをしない』という決定があるだけだ。漏れそう、とか我慢できそうにない、とかは
関係なく、ただオシッコをしない時にはしない。
肉体的な限界の前では、そのような無茶はいつか通用しない時が来るに違いないのだが、
日々の積み重ねに鍛えられたせいか、現にハルナは平然としてオシッコを我慢している。

美容のためと言って、ハルナは毎朝専用のハーブティーを何杯も飲んでいる。
普段の、丸一日オシッコしないその一日のスタートがいつもそうなので、
彼女にとっては日常的なことにすぎないとはいえ、そこに昼の大量のスープが加わる。


さて、昼のスープだが、なぜ乙女たちはこんな尿意に苦しまなくてはならないほどの量を
飲んでしまったのだろうか。