9:35

(ああ、オシッコしたい、オシッコしたい、オシッコしたい…)

職場に着いた初音は、エンジンを切る前にしばらく、両手で思う存分に股間を押さえ、
さらに両足をよじりあわせ、上半身を前後ろにゆらして尿意を散らしていた。
警察に足止めを食っていた間に孤立無縁で消耗した括約筋の疲労をほぐすには、ここまで運転してくる間の
左手の押さえだけでは焼け石に水、体勢をたてなおすために、プライベートな車内で思う存分の醜態で
尿意を押さえこんでおかなくてはならない。
もう客もあつまっているであろう中に、前をおさえたままで登場するわけにはいかないからだ。
なんとか押さえていなくてもしばらく平静を保てそうなところまで回復すると、初音はエンジンを切って車を降りた。

初音の勤めるオオタキエクステリアは、ガーデニング用品や家の外装などを扱う店だ。
モデルケースを見てもらったりするために、店舗のまわりにはいくつかの庭がつくられている。
職場が郊外の、採石場などがあるような辺鄙な場所にあるのは、こうした庭用の広い土地の確保ためだ。

今回初音は、ここに集まる客を前に、商品の説明をする予定なのだった。
しかし、もう開始時間を数分遅刻してしまっている。客を遠い所まで招いておいて、いくら事情があったとはいえ
あってはならないことである。

初音は店の建物に入った。店長をはじめ、同僚たちが客の相手をして時間を稼いでいる。
客を連れて外の庭に出たほうが時間つぶしにも宣伝にもなるので、先ほどまではそうしていたと思われるが、
初音が現場を出るときに連絡をいれておいたので、説明がすぐはじめられるようにと、
説明会場になる店内に客を入れておいてくれたのだろう。

(ああ、やっぱり……)

遅刻をした上にムシのいいことを言うのは何だが、どうせならもうすこしの間、客の移動でドタバタしてくれてた方がよかった。
説明会場といっても、オープンな店舗なので会議室のような閉じた場所ではなく、商品のならんだ店内を
少し物を動かしてスペースをつくっただけのものだ。見通しを遮る物は少なく、今初音が入ってきたのも一目瞭然だし、

(はあ……仕方ないのね)

初音の向かいの壁に見える、棚のわきにある通路こそが、初音が何時間も夢にみてきたトイレである。
そのトイレも会場から一目瞭然。呼んだ客を待たせて遅刻してきた者が、どうして真っ先にトイレにかけこむことができよう。

初音は現場を出るときから、うすうす覚悟はしていたが、それでもあわよくば客が移動でばたついていてトイレに行く隙があればなあ、と
一縷の望みを託していたのだった。

「皆様方、たいへんお待たせ致しました。さきほど申し上げましたように事故のため遅れた結城が今まいりました。」 

「たいへんご迷惑をおかけしました」

初音は店長の言葉を引き継いで客たちの前でまず謝り、すぐ用意をしてくると言って奥の部屋に向かった。

トイレは店員も客も共用なのであんな奥まっていない場所にあるが、こちらはスタッフ用の更衣室、準備室だ。
説明紹介の内容は頭に入っているし、必要な道具は同僚がセットしてくれている。
初音は身だしなみをととのえるため鏡をチェックした。どうせ鏡まであるのなら、スタッフオンリーのこのスペースに
トイレもあればオシッコができるのに。
初音は更衣室の隅にあるゴミ箱に目を止めた。

(ああっ、あれにオシッコしてしまえたら、すっきりするのに……) 

さて初音はスラックスのベルトをゆるめにかかった。ゆるめる時に一度逆にしめることになるとき、腹部に圧力がかかり
はりつめた膀胱の固さをいやおうなく実感させられる。急ブレーキでシートベルトで圧迫された時よりさらに尿意は高まっているが、
今回は自分の意志でタイミングをはかって覚悟の上でできるため、小康状態を保つ尿意が荒れ狂うことはない。
続いてボタンをはずし、ファスナーをゆるめる。初音は本当にゴミ箱にオシッコをしてしまうつもりなのだろうか。
これほどまでにたまったオシッコを始めてしまうと、1分やそこらじゃ済まないかもしれない。
すぐに仕度を済ませて紹介を始めることになっているのに、そんな時間ロスが許されるはずもない。
それに同僚や店長が呼びに来たら一大事だ。
もし見つからなかったとしても、こんなに我慢したオシッコはものすごい勢いでまわりに飛び散ってしまう。
黒系のスーツで濡れてもシミは見えにくいが、こんなトイレでもない所でオシッコをしたら
パンプスやスラックス、ブラウスまでオシッコのしぶきを浴びてしまうだろう。

(またしばらく、助けなしで我慢しなきゃならないんだもの……)

鏡に映る初音の表情には悲壮感が漂っている。今オシッコをしてしまうつもりではないのだ。
まだ我慢する。そのための行為だ。
初音はせりだしたおなかを右手でなでながら、左手でショーツをめくる。

(妊娠以外でも、おなかがこんなにかわっちゃうんだ…)

むろん、妊娠ほど大げさな変化ではないが、妊娠は数ヵ月かけてのゆるやかな変化だ。
今の初音のおなかは、ほんの数時間でおなかのラインを変えてしまった急激な変化。
おへその下あたりが、片手で覆える程度にせりあがっているだけだが、お風呂で見なれたいつものおなかとは
たしかに違う。普段は、かなりオシッコを我慢して、大きく膨らまされているはずの膀胱でも、おなかのラインが違って見える
ことは多分ない。少々膨らんだくらいでは中におさまって隠れているはずの膀胱の形が外に現れるなんて、
どれほどのオシッコがたまっているんだろう。 

説明会は昼前まで続く。9:30開始、前半が10:00まで。その後外に出て実物を見てもらい、10:30から11:00までが後半の部。
そのあとは客の要望があれば、質問に答えたり、アドバイスをしたりすることになる。

もう我慢の限界が近い初音だ。今までの経験では、このまえコンビニのトイレでおもらしを免れた時もかなりきつかったし、
婚約時代に夫の家族と食事や観劇に行った時などトイレに行けなくて死にそうな思いをしたことがあるが、それらの記録を塗り変える尿意のつらさ。
初音が最後におもらししたのは中学のときで、限界まで我慢に我慢を重ねた末に我慢しきれなかったおもらしだったが
大人になってふりかえると、当時の自分が我慢できなかった限界より、大人になってからの、おもらしには至ってない我慢の方が
何段階も先の辛さだ。大人になって、より我慢がきくようになったせいで、より大きい苦しさに届いてしまうのだろう。
とは言っても、いくらおとなで我慢できるといっても、11時までなんてどう考えても絶対無理だ。

県道でガソリンスタンドのトイレの文字に惹かれていた頃には、もう一時も尿意が頭から離れないところまできていたのを
度重なる押さえこみで奇跡的にここまでもちこたえているだけだ。もう上がないところまで高まったと思える尿意は
波のように寄せたり返したりして体が適応して我慢に適応するのを待つと、さらなる尿意の高みを与えてくる。
手の施し様がないほど一気に尿意がたかまれば、体が我慢して押さえこむ体勢をとる間もなくおもらしに至るのだろうが、
大人の体のせいか、初音にオシッコ我慢の素質が隠されていたのか、尿意はじわじわとゆっくり高まるので
まだどうにか我慢できてしまっている。 

しかしそれもあとわずかの間だろう。この状態で今から1時間半トイレ禁止ということになれば、もう精神力の方がとぎれてしまう。
初音が今精神力を切らさずにいられるのは、11時より前にオシッコができる確固たる希望をつかんでいるからだ。

前半の説明が済めば、外に出ての具体的な品物の説明は、他の同僚でもできる。
その間、後半の準備のために初音は休憩なのは当初からのスケジュール通り。
つまり初音はあと30分どうにか乗り切れば、無事に待望のオシッコをすることができるわけだ。

ちなみに、他の同僚が説明できないからといって、初音が一人特別すぐれたスタッフというわけではない。
夏休みのこの時期、今回の紹介をこなせるスタッフは他の支店に出払っており、本来はこの店舗では
説明会をするはずではなかったのだが、この時期にこちらでもやってほしいという要望が急に何件か寄せられたため
特別に時間を設け、経験者だが今はパートで勤めている、時間の余裕があった初音に白羽の矢が立ったわけである。

初音は、左手で広げたショーツとおなかの間に、右手を突っ込んで揉んでいた。
車内にいるときから、何度も布越しにこすり、押し付け、オシッコをくいとめるためにもみくちゃにされてきた性器を
冷やした手で直接さわることで、ほてりをしずめ、疲れをとり、引き締めているのである。
何度かちびったのと、度重なるこすりつけで、ショーツの中はベチョベチョと湿り、
その上ヌルヌルしたものまでまじっていた。それらをティッシュで軽くふき、さらにゆっくりと指先を這わせる。
ひととおりのことが済むと、左手で広げていたショーツを上げる。
右手から、ほんのりとしょっぱいおしっこ臭が漂う。

手を洗って、今度はスラックスのファスナーを締める。膀胱が下腹部の肉をせり出させているので
ファスナーが素直に上がらない。初音は手のひらで下腹部をくっと押さえてファスナーを締める。
続いてボタンとベルト。圧力で噴出の予感が走るが、全然大丈夫だ。
思い立って、直接さわってみた効果は絶大だったようだ。これなら30分、孤立無縁でも水門はもちこたえられそうな確かさがある。
ショーツをめくって、陰部が直接外気にさらされ、またショーツの中に戻るという一連の流れが
トイレでの用をすませたあとのような錯覚を生み、気持ちがリフレッシュされたのかもしれない。
理屈ではなく、本能に近い皮膚感覚だ。 

9:40
有意義な、そして今の自分には必要不可欠だった「用意」を2、3分で済ませた初音は、
遠いバックグラウンドには常にじりじりと尿意を感じつつも、さほど気にすることなく品物の紹介を始めていた。
無理に不動を保つとオシッコの出口への疲労がどんどん蓄積するので、
出口が特に悲鳴を上げていないうちから、不自然にならない程度に、つねに左右に歩きながら初音は説明をする。

主に何についての説明かというと、コンクリートのように固まるが、土のように水をしみこませる素材についてだった。
今きている客のほとんどは、すでにこの素材を購入し、庭で使っている人々だ。
そのメリットやデメリット、有効利用法や問題時の対策などを、初音は要領よく話す。
家事などに時間をさくため今はパートで働いているが、昔はこういうものの研究開発の仕事にもついていたので
初音は、知識もある上に説明のスキルも優れている。だからパートの立場でもこのような説明会を
任されたりもするわけである。 

9:55
先ほどから急に、初音の様子がおかしくなり始めた。
説明の声が時々間延びしたり止まったりすることが増え、
左右に歩きながら話すのは説明を始めた頃から同じだが、最初はやわらかにゆっくりな一歩だったのが
今は早歩きで、方向転換も、次の一歩を待ち切れないかのように気ぜわしい。

(どうしようどうしようどうしよう…オシッコでそうオシッコでそうオシッコもれちゃう…)

それはそうだろう。初音の膀胱につめこまれたオシッコは、わずかたりとも減ったわけではないのである。
時々ちびって数滴分くらいは減っているかもしれないが、そんなものは焼け石に水。なんの救いにもならない。
むしろちびって一度オシッコの通過を許してしまった水門は、次なるオシッコの噴出の誘惑に耐えるのに
数倍の耐久力を要求する。救いどころか、破滅への確実な一歩でしかない。

説明を始めて10分がすぎる頃から雲行きがあやしくなった初音のオシッコの出口は
開始15分には数度にわたってちびり、その頻度は初音の必死な歩調にもかかわらず、さらに増えていきそうだ。
それに、夏は汗で出ていくとは言っても、人間は血液が循環し腎臓に送られている限り、つねに微量ずつだが
オシッコは製造されつづけているのである。

昨夜睡眠不足だった初音は、今朝のこの説明会のために、コーヒーを多めに飲んでいた。
したがってコーヒーの影響がいまだに残って、1分1秒ごとにオシッコがつくられるペースは通常時よりも
多めなのだ。その時は、8:30にはこの職場に着いているつもりだったから、朝のコーヒーが少々腎臓に利いても
まずはぱっちりと目をさますことが優先であり、だから多めに飲んだ。

コーヒーを飲みすぎるとトイレが近くなることは了解の上で、それでも職場について1回、説明会前に1回と
2回はオシッコのチャンスがあると当然のごとくに考えていた。
まさかあれから一度もトイレにいけず、その全てのオシッコを膀胱にためこんで我慢しつづける破目になろうとは。

(ああどうしようもうだめもうでちゃう…)

初音は壁の時計に目をやる。
スケジュール上ではあとわずかで前半の説明は終わりの時刻だ。残りを後半の説明の時間に回して切り上げ、
さっさとトイレに駆けこみたい。

(あと30秒でトイレ、あと29でトイレ、あと28でトイレ、ああでも…)

でも、このあとの外に出ての商品説明のためには、どうしても今言っておいた方がいいことがまだ残っている。

時間がくれば同僚たちにバトンタッチして、トイレに駆け込んでもかまわない。もう客の中にも初音がトイレに
行きたくてたまらないことを気付いている人もいるだろうから、もらすことを思えば駆けこんで笑われてるのは何でもない。
恥かしいが、このありさまがこの先お客さんとのコミュニケーションのタネになると思えばプラスとさえ言える。
トイレかけこみなら笑い話だが、おもらしでは場のつくろいようがない。
だから、駆け込みでもおもらしだけは絶対回避するために、時間がきたらバトンタッチするべきなのに、
初音のプロ意識は中断を否定する。

それに先のことを考えるなら、どうせこれさえすませれば安心してトイレでオシッコができる。
説明をケチって、せっかくのトイレタイムを客やスタッフの質問で釘付けにされることを思えば、
せいぜい何分かオーバーしても、きっちり説明を済ませておいたほうが結果的にはいい。 

10:00

(だけど…オ…オシッコもうもれるもれるもれるーっっ!!)

追加の説明をするぞ、と決意を固めたのとは裏腹に、初音の水門はもう待ってくれない。
何も言わず、トイレにではなく、表の方の品物が並んでいる方に駆け込む。こちらの様子は説明会場からは見えない。

「結城さん、何か要るんですか?」

こちらで店番していた同僚が聞く。説明に必要な物は会場の方に全て用意してもらってある。

「あ、ええっと、じゃあ古賀さん、その3番の土をとってくれない?」

会場から逃げたことをどうごまかすか、そしてもう一つの問題をどう果たすかを大急ぎで頭を回転させて、
初音は言った。古賀が土の詰まった袋をとろうとかがみこむ。
そのスキに初音は、今の危機を救う絶好の形状をもったアイテム、バルコニーの手すりのデザイン見本のかどに股間をぐりぐり押し付け、
決壊寸前のオシッコの出口を応急手当した。

「じゃあ、これでいいですか?」
「ありがとう」

古賀が振りかえる前に手すりから離れ、平静を装う初音。

(うっ、またまずいかも)

土を古賀から受け取る。3kgだ。きゃしゃな女の子の古賀でも運べるのだから、3kgなんてたいしたおもさはでない。
でも、おもらし寸前まできたのを、たった数秒の股間押し付けだけで応急手当しただけの、まだ我慢の天秤が
ゆれているままの初音にとっては、3kgという重さを支えるために瞬間的にこめる力が命取りだ。
両手で抱きかかえた土を右手だけで支え、袋にかくれた左手で股間を押さえながら、初音は説明会場に戻った。 

10:05
無事に説明を終え、今度は外で実物を見てくださいという旨をつたえ、これでやっと初音は仕事を果たした。

(やっとトイレに行けるーっ!あと少しのガマンよ!)

本当はなくてもよかった土の説明まですることになったが、この土は、おもらし回避のためにむこうに逃げたことの言い訳、
むこうの古賀の目をそらして手すりを使用する手段、隠れた左手で股間を押さえるための人目よけの盾という
3つの役目の他にもまだ利用価値があった。
会場に残っていると、今日早めに来てお客個人個人への挨拶ができなかったせいで、お客が個人的に挨拶しにきてくれる可能性がある。
そこでつかまってしまったら次から次へと離れられず、いつまでたってもトイレにいけなくなってしまう。
そこで、客が外に流れていくまで、この土の袋を戻すためということで、むこうの方に逃げるのである。
同僚の何人かは、初音に何が起こってるかはっきり気付いていたようだ。

(結城さん、私たちで早めにお客様出しますから、早く行ってください)
(ごめんなさい、ちょっとコーヒー飲みすぎちゃって。来てすぐトイレ行けなかったから、途中からホントにもれそうだったわ)

気を許した相手で、事情もバレてるとなると、無理して隠すこともない。
とはいっても、同性とはいえ他人の前で股間を押さえるのははばかられるので、しきりにびんぼうゆすりしながら会場がすくのを待つ。 

10:10

(トイレ!トイレ!トイレ!トイレ!)

会場がすいてくると、初音はまっしぐらにトイレめざしてダッシュ。
どれほど長い間、このトイレを待ち焦がれ続けて来たことだろう。

短い通路の手前には男子トイレのドア、奥まったところに女子トイレのドア。
初音はためらわず女子トイレをあける。中には誰もいない。よかった。
人目がなくなったところで、両手で股間を押さえてじたばたと足踏みして尿意をしのぎ、
右手で個室をノック。返事がかえってくる。
もう一つの個室。こちらも使用中。

(ああ、もう、あと少し、あと少し)

個室2個だけのせまい女子トイレをグルグル回る初音。もう他にトイレを妨げる者はなく
オシッコのセーフティロック解除状態だ。膀胱がびくびくと震え、
今までのおもらしの危機とは違う、水門だけでなく堤防全体を押し流してしまうような
立ち向かうよりどころも見つからない本格的な尿意の予感が高まる。

(ああっ、お願い、早く出て!この波がきたらもう絶対我慢できない!) 

それでもまだ無慈悲な2つの個室は憐れな苦行者にゴールを与えてくれない。

(もうだめっ!もう出るううっ!)

流し台の前でカツカツと激しく足踏み。個室の占拠者たちは客、それもほとんどがやや年配のはずで、
年下の、しかも店のスタッフに何度もノックで急かされたらいい感情は持たないだろう。
初音は今度は両手を前と後ろから股間に当ててピョンピョンととびはねる。
それでもまだ個室はあかない。

(こうなったらもう最後の手段!)

初音は男子トイレに駆け込むことに決めた。
右手でガッシリ股間をにぎりしめたまま女子トイレを出る。出会いがしらに老婦人が入ってきて
初音はとっさに股間の手をはなす。老婦人とすれちがって女子トイレを出ようとしたその時、
よりによって今ごろトイレを流す音が。

(そ、そんなぁぁぁ!!)

あと少し待っていたらトイレを使えたのに。老婦人に順番をとられてしまった。

でも、もうそんなことはどうでもいい。初音は男子トイレを使うことを決心している。
お客の中に男性は4,5人、店長を含めても男性はあまりいない。それにもし彼らがトイレを使ったとしても、
男性は女性と比べればトイレに時間はかからないはずで、今男子トイレに人がいる可能性は低い。
万が一オシッコしている人がいて出くわしてしまっても、訳を言って個室を使おう。
だから女子トイレの順番が老婦人にとられても、もう関係ない。 

老婦人が入って行く個室の中に見えた便器についつい目が引かれるのを振り切って、初音は女子トイレを出た。
だいたいどんな所でもそうだが、男女別の公衆トイレが通路の手前と奥にわかれている時は、
男子トイレの方が手前にあることが多い。初音は、より人目につきやすい男子トイレにはいるところを
誰かに見られないかと外をきょろきょろ見まわした。それがよくなかった。

「あら、結城さんもお手洗いだったのね」

迷わずさっさと男子トイレにはいっていればよかった。
さっきまで個室を占拠してい婦人だ。初音が便器に見とれているわずかな間に、女子トイレを出ようとしていたすがたをこの婦人には見られていたはずだ。
となると、今から女子トイレに戻るのも変だし、まして男子トイレに入るわけになんかいかない。
さっき女子トイレから出たのは、なかなか開かないのでいったん出ただけです、と言い訳しても、
それは個室からなかなか出てこなかったこの婦人へのあてつけがましくなってしまうし、
一度出たトイレに婦人に話しかけられたあとで方針変更して戻るのは、婦人を故意に避けているように思われるかも
しれず、今朝ちゃんと個別に挨拶できていなかったこととあわせると非常にまずい。

とにかく初音はまず婦人に挨拶をして、婦人が会場の席に座ったのをいいことに自分もその横に座った。
じっと立っていたらもうおもらしを防げそうになかったのだ。
脚を組み、上に乗せた脚の方のおしりの下にできるイスとのすきまに横から手を入れて指先で押す。
脚どうしをぞうきんをしぼるようにぎゅーっとねじりあわせ、力をこめて我慢、我慢。 

10:20
初音は外に出て、先ほどの的井夫人を案内して、店舗の外の広い庭を歩いていた。
逃げ腰の不自然な歩き方で、ぎこちなく足をひょこ、ひょこと出す。時々手すりにもたれかかって
立ち止まることもある。

「大変そうねぇ、大丈夫?」

的井夫人は心底心配そうというより、ちょっとエッチな含みのある笑顔で初音を見る。
結局、店舗内でそわそわしながら話す初音にトイレに行く時間も与えず案内を頼んだくせに、
オシッコ我慢がまともに歩けない段階まできている初音の様子を、そんな目でみるとは、じつに意地悪だ。
しかし、実は的井夫人に悪意があるわけではない。



(ねえねえ利根さん、ほら、あれって、結城さんまだトイレ行ってないの?あたし交替してあげようかな)

少し離れたところから初音の痛々しい歩き方を見たスタッフが、そばで夫婦で木目のデザインを相談している客に
きこえないよう、別の手のあいたスタッフを手招きして耳元でささやいた。

(あ、笠間さん聞いてないですか、私さっき結城さんが話してるの聞いちゃったんですけど……)
「ええっ、そうなの?」

ふと声をあげてしまい、ふりかえった夫婦になんでもないとごまかすスタッフの顔は、心なしか
ちょっと赤らんでいる。初音を見る目線も、心配そうなものからにやにやしたものに変わる。

(でも、どっちにしても大変ですよね、お手洗いなら済めば終わりですけど…)
(へぇぇ~、そうだったの。災難ねぇ結城さん) 

「ごめんなさいね、無理に歩かせちゃって」

的井夫人は、立ち止まって顔をしかめる初音を気遣って言った。

(ああっ、しょ、正直にオシッコしたいと言えば良かった……)

もじもじしたりあそこを押さえたりしているのが目に付きすぎて、大丈夫かと咎められた時に
なにか言い訳しなければいけなくなった初音は、
一緒にトイレから出て来た夫人に、オシッコを我慢できないからこんなありさまなのだと言っても
信じてもらえないと思い、とっさに苦肉の策の言い訳をしてしまった。

「まぁ~~ぁ!」

夫人は大声を上げて、たのみもしないのに大きな声で復唱した。

「すりむいちゃったのォ!?それでお話のときにもそわそわしてたのね
へぇ~そんなところを、大変ねェ」

それは店内に残っていた数人のスタッフや客にはすっかり聞こえてしまい、
全員が初音の落ちつかない様子の原因を、的井夫人の言葉から読みとって尾ひれが付き

――交通事故の急ブレーキのせいで、クリトリスをすりむいてしまった――

というふうに了解してしまったのだ。

前半の説明が終わった時、初音を気遣って客を早く出すと言ってくれた龍ヶ崎や利根たちも
それを聞いて顔を見合わせる

(たしかに、そんなところをすりむいてじっとしてられない、なんて言えないですよねー)
(なるほど、オシッコと違ってトイレに行ってもそわそわの原因はなくならないもんね)